三沢光晴vs小橋建太、プロレス史に残る激闘


1: お前名無しだろ 2021/03/01(月) 22:29:07.24 ID:CAP_USER9
「死んでしまう」。テレビ中継の実況席から、衝撃的な言葉が飛び出した。その先には花道から場外に向かって、小橋建太にタイガースープレックスを仕掛けた三沢光晴がいた。2003年3月1日、東京・日本武道館で行われたプロレスリング・ノアのGHCヘビー級選手権。王者・三沢に小橋が挑んだ一戦は文字通りの死闘となった。

 リングアウトぎりぎりのカウント19で蘇生した小橋はその後、三沢の必殺技エメラルドフロウジョンをカウント2で返す。薄れる意識の中、タイガードライバーを切り返し、起死回生の豪腕ラリアット。最後はバーニングハンマーで3カウントを奪い、33分28秒の激闘に終止符を打った。

 「長かった。膝が治ったと証明するために(バーニングハンマーは)自分の足で持ち上げたかった」

 2年11カ月ぶりとなった三沢戦に勝ち、箱舟の至宝を奪取した。ノア旗揚げ前日の00年6月15日に全日本プロレスを退団し3冠ヘビー級王座を返上して以来、989日ぶりのシングルベルトだった。両膝手術などによる計1年半の欠場から02年7月に復帰。ついに念願の頂点へたどり着き涙があふれ出た。

 その後、GHCヘビー級王座を13度防衛し「絶対王者」と呼ばれた。順風満帆かと思われたプロレス人生を突然、ピンチが襲った。06年6月、腎臓がんの告知を受けたのだ。右腎臓の摘出手術は5時間以上に及んだ。体力を消耗し精神的なダメージも残したが懸命なリハビリでカムバック。07年12月2日、高山善広と組み546日ぶりにリングに立った。目の前には秋山準とタッグを結成した三沢がいた。日本武道館を埋めた1万7000人が耳をつんざく「小橋コール」で、がんから生還したヒーローを出迎えた。

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 権威あるプロレス大賞で「年間最高試合賞」を小橋は8度受賞しているが、がんからの復帰戦を含め、そのうち5試合が三沢との対戦かタッグを組んだものだった。09年6月13日、三沢は広島で行われたタッグ戦でバックドロップを受けた直後に意識を失い、そのまま帰らぬ人となった。46歳だった。

 激闘を繰り広げてきた盟友の突然の死。ノアは翌日も福岡で興行が予定されていた。中止という選択肢もあったが、小橋は6人タッグ戦に出場。三沢の無念を背負い、その後も体にむち打って、戦い続けた。

 13年5月、三沢と数々の名勝負を繰り広げた“聖地”日本武道館で引退試合に臨み、150発超のチョップと得意技ムーンサルトプレスを披露した。「悔いはありません。幸せなプロレス人生でした」。鮮明な記憶を残し、気力を振り絞って完全燃焼した。

https://i.imgur.com/MrKJlno.jpg


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